1969年2月11日 岩手県盛岡市に生まれる。
18歳 1987年 盛岡工業高校機械科 ラグビー部卒
ラグビーの実業団「日野自動車」に入社。 入社早々問題児だったので、自分だけ寮の部屋を変えられるわ、給料を減らされるわ、職場を変えられるわ‥ ラグビー部のキャプテンとはグラウンドで喧嘩するわで、1年で晴れて退社。
19歳 1988年 バイクで日本一周の旅へ。北海道から西表島まで津々浦々。人んちに居候とテント生活を繰り返し、30万円で半年過ごす。鹿児島ではウミガメのガードマン、北海道では漁師の手伝い。
21歳 1990年 思い付きでアメリカへ。現地でハーレーを購入。ノリで北アメリカ大陸一周の旅へ。旅の途中で大寒波になり飛行機で南米へ。7カ国を放浪。その後アメリカに戻り、バイクで旅をスタート。ネイティヴアメリカンの家に居候や、ニューヨークで働き1年後に帰国。現地で覚えた英語、スペイン語が後の自分を助ける事となる。北アメリカ大陸をバイクで一周。一年後に帰国。
22歳 1991年 帰国後、バイトをしながらバイクで日本放浪を繰り返す。関東、九州、沖縄に暮らす。福岡、沖縄で空手を始める。
27歳 1996年 東南アジア放浪。7ヶ国を放浪。ガイドなし単独でアンナプルナベースキャンプ(4120m)まで登る。ドブ川の水を飲んで下痢をする。
28歳 1997年 帰国後、現地で撮った写真の個展を開く。地元の情報誌「マシェリ」さんで旅の放浪記を連載させてもらう。
29歳 1998年 2回目の個展の最中に盛岡でバイク事故に逢い、顔面粉砕骨折で10時間に及ぶ大手術。何度も病院を脱走して看護婦さんに捕まる。
30歳 1999年 通算5回の手術、入院を繰り返す。右目、右耳が不自由に。鼻、歯の噛み合わせや喉に後遺症が残り未来に絶望してた時期。
33歳 2002年 またもや思いつきで地元FM局でラジオ番組「ガソリンカフェ」を始める。仕事をしながらヨーロッパ、アフリカ大陸アラブ圏の旅へ。中米放浪では、メキシコの大学にプチ留学しちゃったり。雑貨やアパレルに興味が出て東南アジアを数度訪れる。
36歳 2005年 ネパールからランドクルーザーでヒマラヤを越えチベットへ。中国雲南省で中国人女性に「あなた悪い人、中国じゃモテナイ」と宣言される。
37歳 2006年 37歳からモトクロスを始める。
38歳 2007年 殿様に怒られる事件勃発」
2007年5月に建築の仕事を辞めてマルツ工房を立ち上げる。6月、南部藩の家紋をデザインした「ナンブハンダナハンTシャツ」が南部の殿様の怒りに触れ、全商品没収される。当時唯一のヒット商品だったので途方にくれる‥。
悩みに悩み抜いてついにイシワリ、ワンコ、テツビン‥の「イワテヌグイ」を思いつく!これが起死回生のヒット商品となる。
その後とんとん拍子で仕事が増え、地元企業さん、商工会、県庁、JAさん、NHKさん、JR東日本さん、イギリスなどから仕事をいただく。
40歳 2009年 友だちが住んでるクロアチアへ遊びに行く。その場の思いつきで、ボスニアやコソボ、チェコなど旧ユーゴの国を旅する。
3月11日 2011年 震災直後からバイクで被災地へ。おそらく民間人最速??検問をかいくぐり、バイクで瓦礫を越え、物資を届ける。(バイク、旅、登山の経験がここで役立つ)以後、定期的に被災地へ。マルツ工房支援金システムを立ち上げ復興グッズ販売の収益(数%)を使って援助を続ける。
45歳 2014年 ナウシカの舞台になった「風の谷」フンザに行きたくてパキスタンを訪れる。予想以上に大変で帰国後も悪夢にうなされる日々。体重も5kg近く減少。苦行してるお坊さんのようだと言われる。
バイク雑誌「道楽」の取材来る。6月の表紙を飾る。
46歳 2015年 あまりに大変でトラブル続きだったパキスタンの珍道中を本にする事に。初の出版タイトルは、「愛と感動と怒濤の踏んだり蹴ったりのパキスタン旅行」写真展と合わせて旧石井県令邸にて出版記念パーティー。
47歳 2016年 イギリスからトルコまで8か国を旅する。これまでに放浪した国は50か国を超える。
49歳 2018年 マルツ工房初企画イベント「マルツ万博〜こけしの祭典〜」を紫波オガールで開催。北海道、東北、関東、沖縄、クロアチア、アメリカ、ブータンと日本中、世界中のアーティストの友達に呼びかけて参加してもらう。
何から何まで一人でやり過ぎて、あまりの疲労にしばらく何もしたくなくなる(泣)
52歳 2021年 不運が重なり免許取り消しに。歩きと電車の健康生活。